ピエール・バイヤール/大浦康介・訳『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房 2008)

 タイトルと読書メーターのレビューに惹かれて手に取った本。目次の扉ページに「読んでいない本について堂々と語る方法☆目次」って書いてあるのがかわいい。☆が。

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法

 タイトルを見ただけだと上手く知ったかぶりする方法について書いてある軽薄な本なのかと思っちゃったりするけれど、それが全然そんなことはなく至極真面目でちょっと哲学的な話だったりするのであった。著者のピエール・バイヤールはパリ第八大学教授で文学を教えており、当然のことながら本についてのコメントを求められる機会が非常に多い。が、彼がコメントしてきた本の大半は開いたことすらない本だという。自分が文学部に通っていることもあってか、授業等で「○○は読んでるよね」「○○は読んでおかないといけない」「○○は読んでて当然」みたいな台詞を聞くことは結構多い。僕は正直少し前まで全然本を読まないクソ文学部生だったので、こういう台詞を聞くと非常に耳が痛いのだけど*1、大学教授ともなれば「読んでいて当然」とされる本は相当な数になるのだろう。著者は読書に関する暗黙の規範を挙げている。

  • 読書に関する3つの規範
    ・読書義務という規範。我々は読書が神聖なものと見なされている社会に生きており、本を読んでいないと人に軽んじられる。
    ・通読義務という規範。本は初めから終わりまで全部読まなければならない。
    ・本について語ることに関する規範。ある本について正確に語るためには、その本を読んでいなければならない。

こうした規範のせいもあって、学者の間では(話題に上ったある本を読んでいると)嘘をつくのが当たり前になっているそうだ。こうした嘘をつく場合、又は本を読んでいないことを打ち明ける際に感じるやましさや恥ずかしさを解消することが本書の目指すところである、と著者は序で語る。

 第一部では未読の諸段階(「読んでない」の種類)についての分析、第二部では未読の本について言及する状況の種類について説明がなされ、第三部でそうした状況についての対処法が記されている。それぞれの部は四つの章からなり、いずれも何らかの作品をとりあげながら論が展開されていて、単純に読み物としても面白い。そもそも何をもって本を「読んだ」とするのかは難しい問題だ。また、同じ本を読んでも人によって内容の受け取り方が全然違うことはままある。本書を通して著者は読書行為を脱神聖化し、読むという行為の本質とその可能性を考える。タイトルから想起するイメージとは全然違う、意外と深い内容の本で面白かった。それでも僕は本を読もうと思うけれど、読書という行為をとらえ直す良い機会になったのではないかと思う。

*1:この本はこういうクソ学生の怠惰を正当化するための本では、もちろんない