サン=テグジュペリ/二木麻里・訳『夜間飛行』(光文社古典新訳文庫 2010)

 ヴェニスの商人と同じく、名前だけ知っていたのを見かけてなんとなく手に取った一冊。

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

作品紹介

 南米大陸で、夜間郵便飛行という新事業に挑む男たちがいた。ある夜、パタゴニア便を激しい嵐が襲う。生死の狭間で懸命に飛び続けるパイロットと、地上で司令に当たる冷徹にして不屈の社長。命を賭して任務を遂行しようとする者の孤高の姿と美しい風景を詩情豊かに描く。

感想

 この作品を読んでいてまず思ったのは、自然描写が非常に美しいということ。夜、冷たい空気、飛行機の受ける風。視界に広がる山々や海、あるいは視界を覆う深い闇。タイトルの通り夜の空を飛ぶ飛行機がメインの物語なので、そういったものが出てくるシーンが多々あるのだけれど、表現が多彩でかつそのどれもが繊細で美しい。言葉の配列と比喩表現の巧さにちょっと感動した。サン=テグジュペリすげえ。この作品を読むのは初めてなので他の訳を見たことはないけど、訳も綺麗で上手いのではないかと思う。
 どんな些細なミスでも厳しく罰する社長リヴィエールは一見冷徹な人物と見え、時には理不尽とすら感じられる。だが彼はたとえ相手に嫌われるとしても、厳格なルールを徹底し事故を減らす事で部下達の安全を守ろうとしていた。危険な夜間郵便飛行事業の全てをその双肩に担い、強い信念のもとに事業を進める彼の台詞は非常に深い。読んでいて惚れ惚れするほど格好いい人物だった。短い作品ながら、美しい自然描写や深みのある登場人物、物語全体を包む独特の雰囲気、印象的な言葉、等々優れた要素がたくさん詰まっていてとても気に入った。解説を見て始めて気付いたが、物語の構成自体も非常に綿密に巧妙に作られている。手に取ってよかったと思う作品。

impressed

「決まりは決まりだ」
「決まりか」とリヴィエールは思う。「決まりというものは宗教の儀式に似ている。不条理にみえても人間を鍛える」。公平にみえるか不公平にみえるかは、リヴィエールにとって問題ではなかった。おそらく公平か不公平かという言葉そのものが、彼には何の意味もないのだった。ささやかな町の小市民は、夕べに野外音楽堂のあたりを散策する。だがリヴィエールは思う。「彼らに対して公平、不公平といってもなんの意味もない。彼らは存在していないのとおなじなのだから」。リヴィエールにとって人間とは、こね上げられるべき鑞の素材にすぎなかった。この物質に魂を与え、意思を創造しなければならない。だが峻厳さで人びとを服従させるのではない。自己の限界をうち破るよう彼らを駆り立てることが重要なのである。しかしすべての飛行場に、出発への意思を持ちつづけるよう仕向けることになる。彼はその意思を創り上げていた。(p.33-34)


「ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい。だがわたしはそんなことをまずしないし、心で同情していても顔には出さない。とはいえ友情や、ひととしての優しい感情に包まれたいと願わないわけではないのだ。医師であれば仕事を通じてそうした交流を得られるだろう。だがわたしの仕事は状況を制することにある。だから部下達も鍛え上げて、状況を制する力をもたせてやらなければならない。夜、社長室で運行記録を読んでいると、あの漠然とした法則をありありと感じることがある。航路ごとにきちんとシステムを組んだのだから大丈夫だと思って状況を放置しておくと、何故か不思議に、あわや事故寸前という支障が出始めるのだ。結局、飛行機が墜落するのを防ぐのも、嵐で郵便が遅れるのを防ぐのも、まるでわたしの意思ひとつにかかっているようにみえてくる。ときどき、自分で自分の力に驚くほどだ。(p.74-75)